二次創作女性向小説置き場
主にマギ(シンジュ)青エク(志摩雪及び雪男受)
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2024.05.19 Sunday
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つよがり 2 ※サンプル
2011.10.07 Friday
2
ろくな人生じゃなかった。
まだ生まれて十七年しか経っていないのに、本当にろくなことが起きやしなかった。
物心ついたときに、もう親はいなかった。
孤児院に引き取られて、もらい手が見つかって、最初の家に厄介になった。
最初のうちはよかった。
隣の家の紅玉はからかいがいがあったし、俺もまだ小さかった。
小学生も半ばになって少し背も伸びた頃、新しい親父の悪い癖が出た。
『ジュダル、これは私と君だけの秘密だよ』
べたべた触られて気持ち悪かったから孤児院に告げ口したら、いったん引き戻されて少ししてからまた別の家にもらわれることになった。
それが、今の理事長の家だった。
その頃には中学にあがっていた俺は、あろうことかまたそこで新しい親父の被害にあった。
そして、何かがぷちんときれた。
(またか)
(めんどくせえ)
また、孤児院に戻るのも。
たらい回しにされるのも。
(こんなの、なんともないだろ)
(殺されるわけじゃあるまいし)
でも、やられっぱなしは癪に障った。
(どいつもこいつも子供だと思って舐めやがって)
孤児院に遊びに行く振りをして、何か報復に使えそうなものを探した。
修理すればまだ使えそうな、壊れたビデオカメラを見つけてひらめいた。
『なあ、これちょうだい?』
孤児院から家に戻って、譲ってもらったビデオカメラを直して、自分の部屋にこっそり取り付けた。
養父の部屋に呼ばれることもあったが、この部屋を訪れることも少なくなかったので、すぐに録画済みのテープは数を増やしていった。
『父さんとするのすげー気持ちいいから、撮っちゃった』
そう告げたときの養父の顔つきにぞくぞくと暗い歓びと興奮が全身をとりまいて、追いつめる舌は止まらなかった。
『いっぱい撮ったよ』
『俺に何かあったらどこに送るようにしてたっけ、孤児院と、教育委員会と、警察と、児童相談所と…いっぱいで全部覚えてないけど』
『俺のお願い聞いてくれればいいから』
『父さんとするの気持ちいいし、いい子にしてるよ』
大人がみんなそのつもりなら、世界なんて本当にあっけない。
そのあとは、どれも同じだった。
学園は中高一貫だったし、偉い人間のほうが変態が多かった。
触れてくる者は誰だってとりこんで、脅した。
みんな養父のような、ぽっかりと空いた深い穴に落とされたような間抜けな顔を晒すだけだった。
暗い歓びも興奮も最初が頭打ちで、無感動な冷たさが胸を占める割合が広がっていった。
今更普通の、平凡で平和な生活が送れるなんて思っていなかったし、勝手に誰かがしていく性欲処理も釘の刺し方を間違えないようにしてうまくやってこれたし、それなりに融通のきく学園生活を、これでも楽しんでいたつもりだった。
そんなときに、理事長室で新しく赴任する教師の資料を見つけた。
新しい学校をつくるために様々な教育機関を訪れているというその男は、学園創立志願者としては若かった。
物珍しさに興味を惹かれて、資料に載っている前勤務先の様子を覗きに行ったのがいけなかった。
(なんだ、この学校)
自分が過ごすそれとは、明らかに何かが違った。
足を踏み入れるのを躊躇っているうちに、資料に載っていた写真の男――シンドバッドが姿を現して、彼のあとを何人かの生徒が追いかけてきた。
彼らはどうやら最後の別れを惜しんでいるようだった。
悲しみを含んだ湿っぽさがまったくないわけではなかったけれど、それでも目に映る誰もが親密で、表情豊かで、シンドバッドを快く送り出そうとしていた。
少なくともジュダルには皆が楽しそうで、確かに幸せそうに見えた。
肌でそれを感じ取った瞬間、心の奥がどす黒く煤けていくのがわかった。
巻き込んでやる、そう思った。
赴任してきてからずっとシンドバッドにつきまとって、べたべたしていれば、少なくとも“事情”を知っている者はシンドバッドも“仲間”だと思うだろう。
最初はその程度、きれいなものを汚した気になったつもりで済んでいた。
でも。
『学校はオモチャじゃないんだぞ?』
あの日、一見正論のようでいてまったく的を得ない説教を食らって、ほんの少しだけ残っていた良心が吹き飛んだ。
(何も知らないくせに、頑張ってないなんて言わせない)
自分のいるところまで引きずりこんでやる、と思った。
"頑張った”成果を、見せつけてやりたかった。
だから、副理事長の座をシンドバッドのために空けてやったのだ。
(ほら、巻き込んでやった)
(どうする? シンドバッド)
ずっと前に忘れていた歓びと興奮が、今まで以上の威力を持って背筋をふるわせる。
突然の通達を受ける男の顔を想像すれば自然と笑みが浮かんで、職員室の扉の見える廊下へ自然と足が向かった。
「これは、特別役員室の鍵ですから。絶対になくさないようにしてください。複製もできないようになっていますから。あと、これが我が校の役職に関する資料です。目を通しておいてくださいね」
「…はあ、」
自分の意志などおかまいなしにすべてが進んでいく。
そして未だ注がれ続ける職員室中の視線の色合いに、シンドバッドは訝しげに眉を寄せた。
嫉妬や困惑はわかる。
だが、この不快に湿ったような視線が表すものはなんなのか。
しかしその疑問は、散会したあとですすと近寄ってきた教頭の潜めた声ですぐ解消された。
「…君も、悪魔の子の餌食か」
「………は?」
(悪魔の子?)
(餌食?)
説明を要するその単語たちに視線で問い返せば、教頭は鼻一つで笑って返した。
「…しらをきるなよ、私もお前と同類だ」
未だ状況を飲みこめずにいるシンドバッドに追い打ちをかけるように肩をぽんと叩き、教頭が落としていった言葉は。
「魔性だろう、――あの子の身体は」
「――!?」
本当は、見当をつけたくなかっただけなのかもしれない。
悪魔の子、と呼ばれる者の正体に。
("頑張ってきた”とあいつは言った)
(あいつはいったい、何を頑張ってきたんだ?)
(まさか、)
「――ッ!!」
気がつけば、自分の元から去ろうとしていた教頭の襟刳りを掴みあげていた。
「ッッ!? っぐ、何を」
騒然とする周囲に我に返って、すぐさまぱっと手を離す。
「っあ、いや、申し訳ない! 教頭先生の襟に、虫のようなものがとまっていたものですから。…大丈夫でしたか?」
「……ッ…、ったく、…気をつけてくださいよ…!」
誤魔化すように笑みを浮かべて頭を掻けば、怯えと不審の混じった目でこちらを睨みつけながらも教頭はその場を去っていった。
「…も、もうびっくりさせないでくださいよシン先生…何事かと思うじゃないですか…」
「はは、本当に申し訳ない…」
ピリッとした空気を和らげるように助け船を出してくれた同僚をありがたいと思いながらも、シンドバッドの胸中はざわついたままだった。
「………、」
(落ち着け、)
(最初に確かめる相手は、あの男じゃない)
(まず“本人”から、話を聞かなければ)
ゲスな勘繰りで済めばそれでいいのだ。
でも、あの不快な視線は、一つではなかった。
(いやな予感しかしないぞ、これは)
「…ジュダル」
職員室を出れば、授業に滅多に出ることのない問題児はすぐに見つかった。
「どういうことだ、ジュダル」
実力行使がジュダルの仕業なら、その言葉だけで十分通じるはずだ。
「これで俺としやすくなったな、学園せーふく」
にっと口角を笑みの形に丸めたジュダルだったが、シンドバッドが聞きたかったのは役職の件についてではなかった。
「……お前、…誰も逆らえないって、まさか」
乾いた喉から押し出されたきれぎれの言葉を聞いただけで何かを察したジュダルは、すっかり興が醒めたように目を伏せ、ため息をふっとついた。
「何、もう誰かバラしたわけ? …ほんと、上の奴らってバカだな」
視線を伏せたまま、ジュダルの手が己の制服のネクタイにぐっと指をかけた。いきなり突拍子もなくゆるゆると緩められていく襟元にぎょっとして、シンドバッドは思わず衣服を整えさせようとジュダルのネクタイを掴んだ。
「!? ちょっ…何してるんだお前、ちゃんと着なさ…」
結び目がほどけて肩にかかるだけになってしまったネクタイをもう一度結び直そうとしたが、もともと第二ボタンまでを留めないままネクタイを結んでいたらしく、そこから正さなくてはとシャツのボタンに手をかけたとき、着衣の乱れを咎める声が思わず止まった。
鎖骨の周辺にいくつも、べっとりとついた鬱血の痕。
「――!!」
白い肌に痛々しいくらい濃く残ったそれが何を示すのか、考えるより前に素早くボタンを留め直して、シンドバッドはてきぱきとネクタイを締め終えた。
「っ、うぇ…苦しいだろ、そんなきっかり留めんなよォ…」
「あっこら…!」
「え、うわ…っ!?」
きっちり締められた襟元に顔をしかめ、またネクタイを緩めようとするジュダルの手を強く掴んで空き教室に引っ張りこむ。こんな職員室に近い廊下でまたあの痕を晒されたらたまったものじゃない。
「…ジュダル……」
次にその手が何をやらかすのか想像もできなくて、シンドバッドは警戒するようにジュダルの手を握ったまま離せずにいた。自分が目にしたものが決定打だとつきつけられて戸惑っているのも事実だった。とにかくジュダルから何か読みとれないものかとじっとその表情に視線を注いでいると、くっと喉を鳴らしたあとで露悪的な笑みが浮かびあがった。
「…何、お前もなの?」
「………は、」
教室に引きこんだときシンドバッドに見せていたあどけない当惑の表情からがらりと変わった空気に、既視感を覚える。
『これで俺としやすくなったな、学園せーふく』
『何、もう誰かバラしたわけ?』
一瞬で変わる態度。
でも、彼が今見せている諦めたような、皮肉っぽい表情は、シンドバッドが今日初めて見るものだった。
「……いいけど、覚悟しろよ」
すっと弧を描くきれいな笑み。
それとは裏腹に、冷たい光を湛えたまま細められた、どこか歪を思わせる目。
でも、シンドバッドは気づいてしまった。
わずかにふるえる口元を。
瞳の奥でほんの少し、不安に揺れる光を。
(まだ、大丈夫だ)
不思議とそう思った。
「ジュダル、」
またネクタイのノットにかかっていた人差し指ごと、大人の手のひらでぎゅっと包みこむ。
「お前は、本当にそれでいいのか? …それでいいと、本当に思っているのか?」
「…ッッ!」
その言葉を耳に入れた途端、ジュダルの瞳は力がこもったようにぐっと見開かれ、すぐにシンドバッドをギッと睨みあげてきた。
「はァ? 何言ってんの? …しないなら、帰る」
それは、今までにない強い衝動――怒りを孕んでいて。
力任せに腕が振りほどかれ、あっという間に教室を飛び出していったジュダルに、シンドバッドは今後の困難を思って小さなため息をついたのだった。
→
ろくな人生じゃなかった。
まだ生まれて十七年しか経っていないのに、本当にろくなことが起きやしなかった。
物心ついたときに、もう親はいなかった。
孤児院に引き取られて、もらい手が見つかって、最初の家に厄介になった。
最初のうちはよかった。
隣の家の紅玉はからかいがいがあったし、俺もまだ小さかった。
小学生も半ばになって少し背も伸びた頃、新しい親父の悪い癖が出た。
『ジュダル、これは私と君だけの秘密だよ』
べたべた触られて気持ち悪かったから孤児院に告げ口したら、いったん引き戻されて少ししてからまた別の家にもらわれることになった。
それが、今の理事長の家だった。
その頃には中学にあがっていた俺は、あろうことかまたそこで新しい親父の被害にあった。
そして、何かがぷちんときれた。
(またか)
(めんどくせえ)
また、孤児院に戻るのも。
たらい回しにされるのも。
(こんなの、なんともないだろ)
(殺されるわけじゃあるまいし)
でも、やられっぱなしは癪に障った。
(どいつもこいつも子供だと思って舐めやがって)
孤児院に遊びに行く振りをして、何か報復に使えそうなものを探した。
修理すればまだ使えそうな、壊れたビデオカメラを見つけてひらめいた。
『なあ、これちょうだい?』
孤児院から家に戻って、譲ってもらったビデオカメラを直して、自分の部屋にこっそり取り付けた。
養父の部屋に呼ばれることもあったが、この部屋を訪れることも少なくなかったので、すぐに録画済みのテープは数を増やしていった。
『父さんとするのすげー気持ちいいから、撮っちゃった』
そう告げたときの養父の顔つきにぞくぞくと暗い歓びと興奮が全身をとりまいて、追いつめる舌は止まらなかった。
『いっぱい撮ったよ』
『俺に何かあったらどこに送るようにしてたっけ、孤児院と、教育委員会と、警察と、児童相談所と…いっぱいで全部覚えてないけど』
『俺のお願い聞いてくれればいいから』
『父さんとするの気持ちいいし、いい子にしてるよ』
大人がみんなそのつもりなら、世界なんて本当にあっけない。
そのあとは、どれも同じだった。
学園は中高一貫だったし、偉い人間のほうが変態が多かった。
触れてくる者は誰だってとりこんで、脅した。
みんな養父のような、ぽっかりと空いた深い穴に落とされたような間抜けな顔を晒すだけだった。
暗い歓びも興奮も最初が頭打ちで、無感動な冷たさが胸を占める割合が広がっていった。
今更普通の、平凡で平和な生活が送れるなんて思っていなかったし、勝手に誰かがしていく性欲処理も釘の刺し方を間違えないようにしてうまくやってこれたし、それなりに融通のきく学園生活を、これでも楽しんでいたつもりだった。
そんなときに、理事長室で新しく赴任する教師の資料を見つけた。
新しい学校をつくるために様々な教育機関を訪れているというその男は、学園創立志願者としては若かった。
物珍しさに興味を惹かれて、資料に載っている前勤務先の様子を覗きに行ったのがいけなかった。
(なんだ、この学校)
自分が過ごすそれとは、明らかに何かが違った。
足を踏み入れるのを躊躇っているうちに、資料に載っていた写真の男――シンドバッドが姿を現して、彼のあとを何人かの生徒が追いかけてきた。
彼らはどうやら最後の別れを惜しんでいるようだった。
悲しみを含んだ湿っぽさがまったくないわけではなかったけれど、それでも目に映る誰もが親密で、表情豊かで、シンドバッドを快く送り出そうとしていた。
少なくともジュダルには皆が楽しそうで、確かに幸せそうに見えた。
肌でそれを感じ取った瞬間、心の奥がどす黒く煤けていくのがわかった。
巻き込んでやる、そう思った。
赴任してきてからずっとシンドバッドにつきまとって、べたべたしていれば、少なくとも“事情”を知っている者はシンドバッドも“仲間”だと思うだろう。
最初はその程度、きれいなものを汚した気になったつもりで済んでいた。
でも。
『学校はオモチャじゃないんだぞ?』
あの日、一見正論のようでいてまったく的を得ない説教を食らって、ほんの少しだけ残っていた良心が吹き飛んだ。
(何も知らないくせに、頑張ってないなんて言わせない)
自分のいるところまで引きずりこんでやる、と思った。
"頑張った”成果を、見せつけてやりたかった。
だから、副理事長の座をシンドバッドのために空けてやったのだ。
(ほら、巻き込んでやった)
(どうする? シンドバッド)
ずっと前に忘れていた歓びと興奮が、今まで以上の威力を持って背筋をふるわせる。
突然の通達を受ける男の顔を想像すれば自然と笑みが浮かんで、職員室の扉の見える廊下へ自然と足が向かった。
「これは、特別役員室の鍵ですから。絶対になくさないようにしてください。複製もできないようになっていますから。あと、これが我が校の役職に関する資料です。目を通しておいてくださいね」
「…はあ、」
自分の意志などおかまいなしにすべてが進んでいく。
そして未だ注がれ続ける職員室中の視線の色合いに、シンドバッドは訝しげに眉を寄せた。
嫉妬や困惑はわかる。
だが、この不快に湿ったような視線が表すものはなんなのか。
しかしその疑問は、散会したあとですすと近寄ってきた教頭の潜めた声ですぐ解消された。
「…君も、悪魔の子の餌食か」
「………は?」
(悪魔の子?)
(餌食?)
説明を要するその単語たちに視線で問い返せば、教頭は鼻一つで笑って返した。
「…しらをきるなよ、私もお前と同類だ」
未だ状況を飲みこめずにいるシンドバッドに追い打ちをかけるように肩をぽんと叩き、教頭が落としていった言葉は。
「魔性だろう、――あの子の身体は」
「――!?」
本当は、見当をつけたくなかっただけなのかもしれない。
悪魔の子、と呼ばれる者の正体に。
("頑張ってきた”とあいつは言った)
(あいつはいったい、何を頑張ってきたんだ?)
(まさか、)
「――ッ!!」
気がつけば、自分の元から去ろうとしていた教頭の襟刳りを掴みあげていた。
「ッッ!? っぐ、何を」
騒然とする周囲に我に返って、すぐさまぱっと手を離す。
「っあ、いや、申し訳ない! 教頭先生の襟に、虫のようなものがとまっていたものですから。…大丈夫でしたか?」
「……ッ…、ったく、…気をつけてくださいよ…!」
誤魔化すように笑みを浮かべて頭を掻けば、怯えと不審の混じった目でこちらを睨みつけながらも教頭はその場を去っていった。
「…も、もうびっくりさせないでくださいよシン先生…何事かと思うじゃないですか…」
「はは、本当に申し訳ない…」
ピリッとした空気を和らげるように助け船を出してくれた同僚をありがたいと思いながらも、シンドバッドの胸中はざわついたままだった。
「………、」
(落ち着け、)
(最初に確かめる相手は、あの男じゃない)
(まず“本人”から、話を聞かなければ)
ゲスな勘繰りで済めばそれでいいのだ。
でも、あの不快な視線は、一つではなかった。
(いやな予感しかしないぞ、これは)
「…ジュダル」
職員室を出れば、授業に滅多に出ることのない問題児はすぐに見つかった。
「どういうことだ、ジュダル」
実力行使がジュダルの仕業なら、その言葉だけで十分通じるはずだ。
「これで俺としやすくなったな、学園せーふく」
にっと口角を笑みの形に丸めたジュダルだったが、シンドバッドが聞きたかったのは役職の件についてではなかった。
「……お前、…誰も逆らえないって、まさか」
乾いた喉から押し出されたきれぎれの言葉を聞いただけで何かを察したジュダルは、すっかり興が醒めたように目を伏せ、ため息をふっとついた。
「何、もう誰かバラしたわけ? …ほんと、上の奴らってバカだな」
視線を伏せたまま、ジュダルの手が己の制服のネクタイにぐっと指をかけた。いきなり突拍子もなくゆるゆると緩められていく襟元にぎょっとして、シンドバッドは思わず衣服を整えさせようとジュダルのネクタイを掴んだ。
「!? ちょっ…何してるんだお前、ちゃんと着なさ…」
結び目がほどけて肩にかかるだけになってしまったネクタイをもう一度結び直そうとしたが、もともと第二ボタンまでを留めないままネクタイを結んでいたらしく、そこから正さなくてはとシャツのボタンに手をかけたとき、着衣の乱れを咎める声が思わず止まった。
鎖骨の周辺にいくつも、べっとりとついた鬱血の痕。
「――!!」
白い肌に痛々しいくらい濃く残ったそれが何を示すのか、考えるより前に素早くボタンを留め直して、シンドバッドはてきぱきとネクタイを締め終えた。
「っ、うぇ…苦しいだろ、そんなきっかり留めんなよォ…」
「あっこら…!」
「え、うわ…っ!?」
きっちり締められた襟元に顔をしかめ、またネクタイを緩めようとするジュダルの手を強く掴んで空き教室に引っ張りこむ。こんな職員室に近い廊下でまたあの痕を晒されたらたまったものじゃない。
「…ジュダル……」
次にその手が何をやらかすのか想像もできなくて、シンドバッドは警戒するようにジュダルの手を握ったまま離せずにいた。自分が目にしたものが決定打だとつきつけられて戸惑っているのも事実だった。とにかくジュダルから何か読みとれないものかとじっとその表情に視線を注いでいると、くっと喉を鳴らしたあとで露悪的な笑みが浮かびあがった。
「…何、お前もなの?」
「………は、」
教室に引きこんだときシンドバッドに見せていたあどけない当惑の表情からがらりと変わった空気に、既視感を覚える。
『これで俺としやすくなったな、学園せーふく』
『何、もう誰かバラしたわけ?』
一瞬で変わる態度。
でも、彼が今見せている諦めたような、皮肉っぽい表情は、シンドバッドが今日初めて見るものだった。
「……いいけど、覚悟しろよ」
すっと弧を描くきれいな笑み。
それとは裏腹に、冷たい光を湛えたまま細められた、どこか歪を思わせる目。
でも、シンドバッドは気づいてしまった。
わずかにふるえる口元を。
瞳の奥でほんの少し、不安に揺れる光を。
(まだ、大丈夫だ)
不思議とそう思った。
「ジュダル、」
またネクタイのノットにかかっていた人差し指ごと、大人の手のひらでぎゅっと包みこむ。
「お前は、本当にそれでいいのか? …それでいいと、本当に思っているのか?」
「…ッッ!」
その言葉を耳に入れた途端、ジュダルの瞳は力がこもったようにぐっと見開かれ、すぐにシンドバッドをギッと睨みあげてきた。
「はァ? 何言ってんの? …しないなら、帰る」
それは、今までにない強い衝動――怒りを孕んでいて。
力任せに腕が振りほどかれ、あっという間に教室を飛び出していったジュダルに、シンドバッドは今後の困難を思って小さなため息をついたのだった。
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